take-bow2007-05-27

初めて純粋に仏像だけを見るためにお寺を尋ねたのは、京都太秦広隆寺であった。通称「宝冠弥勒」とよばれる国宝第一号の名品は小生のような仏像って分からん組をも凌駕するほどの圧倒的存在感を示している。生で見ると木目のきわだちが素晴らしい。上半身の中性的雰囲気とお顔にどうしても注意が向けられてしまう。やはり右手(指)のなせる技であろうか。しかし、小生としては半跏の右足とその上に添えられた左手の存在こそ、この像の真髄であると思う。つまり「思惟」という哲学的・宗教的なものを具現化するには、全体のバランスがどうしても求められ、斜めに傾げて「考え」ている上半身を支えて三角形状の底辺に位置するこのラインに根底的な「思惟」が横たわっているように思えるのである。実存主義の巨人カール・ヤスパースの「これほど人間実存の本当の平和な姿を具現した芸術品を見たことはなかった」発言を引用するまでもなく、そこに仏教の求める世界観・理想像・「限界状況」を打ち破るモノを示しているように思われる。
4年も京都に住みながら、仏像を見ることなく過ごしてしまったことを、今はとても反省している。すぐ傍にあった時には全く訪ねることなく、少しはモノを「思惟」するようになってから初めて尋ねるとは、まさに「色即是空 空即是色」を体現しているような小生の仏像体験である。今や小生は、仏像展などで拝み倒しているお婆ちゃん達の傍らで、似非フェノロサとして美術品の仏像に対面しているのである。


ご案内
京都市右京区太秦蜂岡町32 TEL075-861-1461                      拝観時間9:00-17:00(12月〜2月末は16:30)                           料金 <霊宝殿の参拝料>大人700円