追憶のかなたに

take-bow2011-12-30

今年もあと二日となった。大掃除も終え、あとは新年を迎えるだけとなり、今年を振り返る時間的余裕もできた。が、今年の思い出はすべてあの日に収斂される。あの日3.11は昨年度の仕事の区切り日だった。テストの採点・返却も終わり、時間的ゆとりができたので、(家族に内緒で)映画を見ようとシネコンに行った日だった。近所のスーパーにあるシネコンで、安全確認できるまでホールに集められている時、ラジオで状況を確認した。日頃は目にすることのない避難路を通って(新築なのに壁が落ちたりしていた)、屋外に退避しカミさんの待つ自宅へ大急ぎで帰ろうとするが、大きな余震に襲われ電信柱や信号ってあんなスゴイ揺れでも耐えるんだぁと感心した。自宅に着くとカミさんが屋外に出ていて、「怖かったぁ」という。二人室内に入り、壊れていないか倒れていないか確認し、テレビの臨時ニュースを見続けているとあの大津波が。。。
以来、今年はどうも体調がおかしい。老眼や腰痛は地震の前からであるが、どうも自律神経がいかれているような気がする。最近、緩くなった涙腺はもう遮ることが不可能なまでにだだ漏れとなり、被災地のニュースや映像、新聞記事、どれもこれも小生とは無関係の人たちなのに、涙が止まらない。そういえば地震とは関係なく、父の姉兄たちが相次いで亡くなった。死や老いというモノに直面したからなのか、自分の無力さ・存在意味とかを考えざるを得ない。
新年早々、センターテストなど入試シーズンが始まる。教え子たちがこんな苦しい年の中、受験勉強に立ち向かっている。小生もオヤジとして、しっかりと彼らに向き合わなければならないのだが、いつもの年のように行かない。今年はどうもおかしい。