take-bow2010-08-01

我が家の今夏最大のイベントは、岩手県遠野への家族旅行であった。愚息が昨年まで恒例としていた海水浴はイヤであると宣い、遠野に行ってみたいと発言したからさぁ大変。どうもカッパやら座敷わらしの話やらを読んで興味を持ったらしい。興味関心程度に付きあうことも無いのだろうが、知的好奇心は何にも代え難いモチベーションとなると思い、かなり無理をすることになった。おかげで初めてトレイン&レンタカーを使う羽目にはなるは、今までの稼ぎをほぼ全てはき出すことになるは、で何とか出発したのが7/28であった。花巻で宮沢賢治がらみの展示や博物館を散策して、この日は終わり。展示物の原稿に推敲につぐ推敲を行う「賢治らしさ」にひたすら感心。出版したモノにまで赤入れしているのにはほとほと吃驚した。

そして翌7/29、丸一日を使って遠野を見て歩いた。まずは市の中心部へ。「とおの昔話村」で語部のおばあさんから話を聞く。『遠野物語』そのものでは無いが、共通する山人の生活感溢れる話に引き込まれる。語りの語尾が「〜ナス。」という穏やかな音による処も大きいと思う。個人的にはこのような催し物は好きではなかったのだが、ビデオで見せられるのと異なり、ライブ感あふれるものなのでお薦めだ。柳田國男が滞在した高善旅館を移築した建物は地方都市ながら都会感を醸し出していて、軒の低さや敷居の高さなど隈無く堪能できる。その後、急な坂を登ってリニューアルオープンしたばかりの「遠野市立博物館」へ。さまざまな文物が集められていてここは欠かせない見学場所だ。特に隣の涼しげな南部神社はもと遠野城だった処なので、街の成り立ちを考える良い場所だと思う。次に遠野と言えばカッパということで、カッパ淵に行く。常賢寺の裏手とあるので、寺の駐車場に勝手にレンタカーを突っ込む。ホップ畑に挟まれた農道は観光客で一杯。場違いな状況に車で乗り入れてはいけないことを知った時には既に遅かった。勝手に使わさせて頂いた御礼は後ですることとして、足洗川とよばれる小川に向かう。確かに出そうな場所である。森の中を小さいながらも急流が流れる。ふと横を見ると「安倍貞任屋敷跡」とある。数多く作られたであろう館や柵などの一つとはいえ歴史に思いを馳せた。御本堂にお賽銭を差し上げて退散した。最後に観光施設「伝承園」で南部曲り家を見る。こちらの建物は一般的な農家の暮らしぶりを示している。久しぶりにお蚕さんを飼っている場に接し、馬を飼う厩部分は掘り込んであるのに納得した。この曲り家には御蚕神堂(おしらどう)と呼ばれるオシラサマを千体祀った場が付属している。ここがヤバイ。四方の壁に千体と言われるオシラサマが囲んでいる。入った瞬間に霊感とは無縁な小生の背筋がゾッとした。これは来たと思い、思わず合掌(しかも金剛合掌)。四方に手を合わせ、真ん中の一際大きなオシラサマにも一礼するとそそくさと逃げた。カミさんに早くここから出ようと一言言うと、急いで曲り家へ。暗い場所やお墓ですら何でもない小生が、こんなことは初めてだ。帰ってから『遠野物語』のオシラサマに関する話を読んで納得。『千と千尋の神隠し』の大根を擬人化した神オシラサマとは全く別物だ。本当のオシラサマの存在を知ったことこそ小生の今回の旅の最大の収穫だった。やはり空気とか香りなどを含めた、雰囲気全体を味わうことはとても大事だ。そして遠野をホントに知りたければ、もっともっと通い詰めないとダメだということを認識した。日本の原風景と思える一般性と、山に囲まれ独特の文化を育み多くの民話を残した特殊性とに惹かれる人が多いのだろう。

最終日7/30は豪雨という予報の中、平泉まで行って中尊寺を拝観。何年ぶりかに対面する光堂の金箔には違和感を感じつつも、螺鈿の美しさにノックアウトされた。宝物館の国宝群も素晴らしい。山全体の空気が心地よい(結局雨は降らず)。お隣の毛越寺にも行くが、以前感じた通り中世までの遺跡としての存在感だけの観光地であった。ただ道や家並みなど全て綺麗になっていて、歳月の流れを痛感したのであった。その後、花巻に戻り新渡戸稲造の記念館など訪ねてから新幹線で帰京した。

最後に一句


先達の
見果てぬ夢ぞ
蝉時雨       (お粗末)            上の写真はカッパ淵(こちらもお粗末)