父に詫び状

take-bow2012-11-02

父が苦手だった。
と言うより、嫌いだったといった方がより正確かも知れない。しつけに厳しかったのもその理由だし、長男だから家業を継ぐのが当たり前だと言われ続けたのもその理由だったろう。学級委員や、まして生徒会委員に立候補しない私を「駄目なヤツ」と決めつけた、そんな厳しい父だった。思春期となり、どんどん父的なモノから遠ざかっていった。ロックに憧れたのも、髪を伸ばしたがったのも、演歌など歌謡曲はほとんど聞かなかったのもそんな心の叫びの現れだっただろうか。父が理解し得ない世界への逃避だったのかも知れない。
大人になって、弱いモノ・恵まれない人・社会的弱者を尊重する父の姿勢には感服しながらも幼少期の「違和感」は抜けきれなかった。結局、ダメ息子の小生は家業を継がず、未だに非正規雇用の「教員」=ぷうタローを続けている。

そんな父が亡くなった。男の平均寿命からすると長生きの方だ。しかし、晩年の10年近くは病を得て、常に闘病生活だった。ガン・脳梗塞、それに伴って各臓器に水が溜まり最期を迎えることとなった。孫たちを微笑みながら眺めている好々爺は、今はもういない。甥や母や義理の妹・嫁が泣き崩れている病室で、意外と冷静な自分がいた。担当医師が心肺・瞳孔などを確認する様をしっかり見守っている自分。一人の人間としての父の最期をキチンと看取るのが、ダメ息子である自分の役目だと感じてたからかも知れない。
そして、今はただ息子として尊敬できるオヤジを持った幸せに感謝している。
                        合掌(七七忌に)