take-bow2007-04-29

京都市街には古い建物が残っていない。意外かもしれないけれど、応仁の乱があったからであるが、市内の大部分を焼いたために鎌倉以前の建造物はこの建物だけである。洛中の人々に「千本釈迦堂」の名で知られる、この古刹は西陣に位置しながらその戦火を、軒の一部を焼くだけで古の姿を現在に残している。
と、まぁ。一般的な話はここまでで、何故、小生が取り上げたかというと、実は私、この千本釈迦堂の境内に住んでいたのである。学生時代の一年間、縁あって山門脇の小屋に居候していたのであるが、何ぶん相手が国宝である。管理がメチャメチャ厳しい。ガスやら火気の使用が禁じられ、その上、トイレも山門の外を使わなければならず、挙げ句の果てには風邪で寝込んでいた時に、隣のお堂で近所の女将さん達が詠むお経に辟易して、あわれ貧乏学生は普通のアパートに退散したのであった。今回、調べたらそのお堂は「北野経王堂」という、これまた由緒正しいモノだそうな。小生にとっては生活の場であったために、純粋に文化財と思うことができず、監視カメラや防火設備の仰々しさは流石、国宝と思わせるに充分ではあった。もちろん小僧として入った訳でもなく、寺男でもないのであまりお手伝いする機会はなかったのだが、「おかめ」さんの時に駐車場の誘導をさせられたのを覚えている。日頃の観光客は少ないが、知る人ぞ知る穴場なので、拝観されるマニアな人は毎日確実にいた。しかし、こんなスーダラな小生にとってさえ至福の時だったのは、拝観時間が終わり、誰も入れなくなった境内のベンチで眺める桧皮葺の本堂が夕日に染まる風景は絶品であった。国宝独り占め、何とも贅沢な話ではある。

←思い出深い北野教王堂

ご案内
〒602-8319 京都市上京区七本松通今出川上ル
TEL:075-461-5973   公開:9:00 - 17:00   拝観料:大人500円    市バス 上七軒下車 徒歩約3分