take-bow2006-08-16

昨日、映画を見るため久しぶりに渋谷へ行った。候補は2つあったのだが、結局、Bunnkamura ル・シネマの張楊監督作品『胡同のひまわり』を見ることにした。最近、映画を見る前から予備知識を持ちすぎてしまって、興ざめor早く終んないかなぁ的な状態に陥り、楽しめないことが多かった。そこで今回は中国映画であるということと、胡同(フートン)=北京の路地裏・横町・下町を舞台にしているということだけを予備知識として映画に対峙した。以下、あらすじはネタばれなので取り扱い注意。


舞台は北京の胡同で、主人公が1967年に生まれるところから始まる。この前年、毛沢東が「プロレタリア文化大革命」を発動し中国は「動乱の10年」に突入する。主人公の父親は画家(知識階級は労働者でないため当時は「改造」が必要とされた)であるため、農村へ「下放」されて強制労働に従事した。この物語では6年間なので、途中から「下放」されたことになり、これは別のテーマの布石となる。
1976年、主人公が9歳の時、父親が「下放」先の農村から帰ってくる。しかし、彼は画家として最も大事な利き腕を壊され、自信も失いかけている。主人公はそんな父親を「父さん」とは呼べず、むしろ口やかましい闖入者と扱う。久しぶりの父母のセックスもお母さんを「いじめ」ていると勘違いし、邪魔をするシーンが印象的。何せ胡同、しかもその中のドンヅマリの四合院なのでわんさか人がいる。友達は遊んでいるのに、主人公は絵の勉強をさせられる。逃げても無駄だ。父は超頑固オヤジをして「君臨」する。ちょうどこの年、毛沢東が死去して「四人組」が逮捕され、「文革」が終わりを告げる。頑固オヤジの仕事や才能を奪い去って。。。ひょんなことからオヤジの親友の「報告」が、父の「下放」の原因となったことを知ってしまう。頑固オヤジは、ここでも意固地さを発揮し、親友の謝罪を「許さない」と絶交宣言。
主人公が成人しても頑固オヤジは、大学の勉強(絵画)やら女の子ことやら干渉しまくる。挙げ句の果てには彼女を堕胎させてしまう。何度もオヤジを「拒絶」し、「否定」し、「逃亡」しようとするが、この頑固オヤジは追いかけて追いかけて追いかけまくる。結局、主人公は画家として大成し、個展も開き順風満帆となった。やっと肩の荷を下ろした頑固オヤジは行き先を告げずに胡同や家族の前から姿を消す。主人公に子供が生まれた時、家の入り口には「ひまわり」の鉢が飾られていた。


小生が中国旅行をした時は、北京にはまだ胡同がたくさん残っており、しかも明代から住んでいるモノもある、とガイドが言っていた。バスの中から見て、東京の下町を思わせるその景観に500年もの歴史があるとは、流石中国と感心したのを覚えている。
さて、この映画の頑固オヤジは歴史の流れの中で、頑固さゆえに損をしまくる。しかし、逃げようとする息子を追い回すその姿勢は、オヤジが受けたイヤな経験とダブるはずだ。それなのに自分の信念は曲げない。息子には才能があり、それを開花させるのが頑固オヤジの使命である考えている。最近の日本では見なくなった正真正銘の頑固さだ。「とんでもない」と思いつつ気がつくと頑固オヤジに肩入れしている自分がいる。「文革」後世代が新風を送るような爽やかな作品だ。