「トルコ至宝展」を見る

しばらくblogを更新することが出来ず、1ヶ月以上前の記憶を頼りに以下は記すことになった。

turkey2019.exhn.jp

上のタイトルで、トルコの秘宝が乃木坂の国立新美術館で公開されている。歴史を学ぶモノとして、これは見に行かねばということで春休み(こちらは10連休どころでは無い)を利用して行ってきた。確か櫻が咲き始めていたように思うが、周囲の風景には気もとめず会場に向かう。中は思ったより空いていて、宝石好きの日本にしては珍しいと重いながらの鑑賞となった。金を用いた宝飾品の数々は目を見張るモノがあった。写真の短剣はイスラーム教徒が成人の時に贈られるというものなのであろうか。あまりの美しさに実際には用いないんだろうなぁと感じた。展示の後半で日本との繋がりを示す品々があり、山田寅次郎(宗有)がトルコから贈られた品々があった。彼の業績を思えば当然だが、日本では教科書でも扱われない人物というのが情けない。

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顔真卿の名品「祭姪文稿」を見る

take-bow2019-01-23

東京国立博物館で開催されている「顔真卿展」に行ってきた。台湾の故宮博物院が誇る名品「祭姪文稿」が展示されているので、昨年から楽しみに待っていた展示だ。思ったよりは混んでいなかったが、流石に「祭姪文稿」の展示スペース(第1会場最後)だけはスゴク待たされた。並んでいると、何か違和感に気づいて周りを見回すと、ほとんどが中国からのお客さんらしく、日頃並ぶのに慣れていないらしく、雑然としていてこの種の展示とは違って詰めて並ばないのでより時間がかかった。書に関しては詳しくないので、素人には書道史が概観できるような形になっており、とても勉強になった。どうしても拓本が多いのだが、中国の方々は見慣れているのかさっさと飛ばしてみていく。犬養毅が所蔵していた作品もあり、木堂の印が押されていて名品なのだと分かるという心許ない小生のレベルに情けなさが増す。西安の碑林や龍門にも行っているので、拓ではなく現物を見ているはずなのが、情けない次第だ。後半の第2会場はさして混んでおらず、顔真卿の真筆「自書告身帖」もゆっくり見ることができた。その後、日本の三筆・三蹟など王羲之顔真卿に影響を受けた作風の作品を楽しむことができる。しかし、こちらはもはや中国の方々の関心では無いらしく、じっくりと鑑賞できる。帰ってからネットで(特に中国で)ニュースになっていると知り、あの混み様を理解した次第である。

「ムンク展−共鳴する魂の叫び」を見る

take-bow2018-12-11

結構な混雑の中、上野の東京都美術館ムンク展を見る。人のことは言えないが、年配の方が多かったのに驚いた。やはり死と向き合った画家の姿に共鳴するのだろうか。正直「叫び」にはあまり関心が無く、今回はパスかなぁなどと思っていたら、日曜美術館で取り上げているのを見て俄然行く気になった。お目当ては各時期さまざまな描き方で表された自画像である。18歳の精悍な青年自画像から精神的に行っちゃってる「地獄の自画像」「スペイン風邪の後の自画像」、1930年代の「硝子のベランダの自画像」などその時々の精神状態を絵画化する能力に圧倒される。「マラーの死」もある意味自画像といえるだろう。精神や心の叫びを絵画に描いたその功績は大きいと感じた。死の恐怖に苛まれながら描き続けた画家は皮肉にも80歳過ぎまで長生きし、さらに皮肉なことにナチスヒトラーによって退廃芸術の烙印を押され、家まで戦火にまみれ、あれだけ恐れた死を迎えるとは。流行の画風を取り入れながら、抽象画の先駆的な作品も描き続けた画家は安寧に涅槃を迎えたのだろうか。充実した展示に満足であった。
画像は最晩年の自画像「自画像、時計とベッドの間」

クイーンの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見る

take-bow2018-11-09

今日から公開の『ボヘミアン・ラプソディ』をどうしても映画館で見たくて行ってきた。予告編で主役があまりにフレディに似ているので驚いていたが、まさにフレディそのものに成りきっていた。どの曲も馴染みの歌ばかりなので大声で口ずさみそうになるのを抑えるのがやっとだった。特にわれわれ初期からの日本のファンは「炎のロックンロール」や「輝ける七つの海」が厳しい状況で生み出されたものだ初めて知ったのでは無いか。フレディのコンプレックスや内向性は、あのビジュアルからは想像つかなかったので、この作品を見た一番の収穫だろう。死を覚悟してのライブ・エイド出演には本当に涙が出るし、実際の映像を実に忠実に再現しているので驚かされる。クイーンの楽曲に触れたことのある人なら誰でも一見の価値ありである。

上野で千本釈迦堂と

take-bow2018-10-11

縁あって暮らしたことのある大報恩寺の寺宝群が、上野の東博で展示されるとあって慌てて見てきた。なにぶん国宝の本堂を持ってくることは出来ないので残念な展示ではあるが、こんなに寺宝があるとはちょっと驚きである。確か一度お手伝いで本堂内の仏像を見ているはずだが、本尊さん以外は見覚えが無い。中でも快慶作の十大弟子立像は優れた逸品で、なぜこれが「重要文化財」どまりなのか素人には理解できない。とても素晴らしい作品群である。ただ展示物が少ないため平成館を二つに分け、右が大報恩寺展で左がデュシャン展になっていた。これもまた驚きなのだが、お年寄りが多いからか大報恩寺展の方が明らかに混んでいた。

再び「藤田嗣治展」を見る

take-bow2018-09-01

私にとっては二度目の本格的回顧展となる「没後50年 藤田嗣治展」を東京都美術館に見に行ってきた。2006年の時と比べると空いているように感じたが、記憶は曖昧だ。学生時代の自画像や父の肖像画など前回は見ていない初期のモノも見ることが出来た。他に南米や沖縄、戦時下のカンボジアでの作品群も初めて見るので、とても新鮮だ。でもやはり戦後のレオナール・フジタとして、約束の地に到達した藤田の作品は何度見ても心落ち着く。宗教画や子供をモチーフにしていることかも一目瞭然だろう。代表作の大部分は前回も見ているのだが、最も脂の乗り切った時期を戦争画に費やされた、藤田の悲哀を本当に痛感せざるをえない。今回の大回顧展の最大の見所は、68歳の「自画像」や自作の「十字架」である。夫人が最後まで手元に残しておられたため、初めて見るモノばかりである。まさに拝みたくなる。

「琉球 美の宝庫」展を見る

take-bow2018-08-22

六本木のサントリー美術館で開かれている琉球展で、本日から「玉冠(付簪)」が公開されるのに合わせて見てきた。絵画や紅型衣装、意匠に代表される美術的な美を楽しんだ。型紙が公開されていたが、元号は「光緒五年」という清代の中国歴を用いていたことからも明らかなように、現在は日本の一部でしか無いけれど「万国津梁(世界の架け橋)」の独立国だったことを示している。琉球王国の清(中国)と薩摩・日本との微妙な関係に思いを致すと、現在の沖縄の置かれている日本政府と米軍という現状を考えずにはいられない。ただ中国と日本の間にある微妙な立ち位置が、これらの独自文化を産み出したことも事実である。第3章「琉球国王尚家の美」のコーナーは圧巻だ。それまでの文物とレベルが違いすぎる。中国で皇帝しか持ち得ないモノと同等のレベルの文物ばかりが展示されている。一瞬ただの組紐に見える「黄組物帯」ですら荘厳だ。前述の「玉冠(付簪)」は玉の美しさもさることながら、全面を覆う黒縮緬のシックで素晴らしいこと。それを横から貫く簪には二匹の龍が彫金されていて、本物の素晴らしさを示している。日本お得意の漆器夜光貝を用いた琉球螺鈿にはある意味、叶わないような気がする。また堆朱も作成していた点がやはり中国文化の強い影響を感じた。
そして沖縄戦の悲惨な結末を考えると、これらの多くの文物が奇跡的に残ったことに感謝せざるを得ない。

「生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。」を見る

take-bow2018-08-17

絵本画家として高名ないわさきちひろの回顧展「生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。」が東京駅のステーションギャラリーで開催されている。家人がどうしても見たいので連れて行けということで、安曇野の美術館で見たのと同じだったらヤダなと思いつつ東京駅に向かう。当然の如く、平日にもかかわらずやや混んだギャラリー内は正直、物理的に見づらいシチュエーションだったが、内容的にとても「絵描き」いわさきちひろを知るのにとても良い展示だった。戦前の限られた状況で恵まれた家庭環境での芸術との接点、戦後の大きな変化の中での自己実現、そして今に残る作品群。何度も行った安曇野の美術館と違い、彼女の人生が大観できた良い展覧会だ。ステレオタイプの「やさしさ」「かわいさ」などだけで無い、「絵描き」いわさきちひろに迫る内容だったのは偏に学芸員の方々の企画力の勝利だと感じた。ただ展覧会ではやむを得ないのだが、印刷技術の飛躍的な向上とそのおかげで彼女の作品が作品として評価されるレベルになったことがもっと強調されるべきだろう。また、絵本と戯れるスペースをせっかく作っていたのに、お年寄りばかりで休むスペースになっていたのが残念だった。

MOROHAにノックアウト

take-bow2018-06-08

ラップグループ?MOROHAの「革命」をラジオで聴いた。頭から離れないので、ネットサーフィンで動画を探す。さらに「三文銭」を見つけた。ノックアウトされる。ラップは詳しくないので、彼らがラップかどうかも分からない。でも間違いなく、彼らの音楽はブルースだし、ロックしている。すてきな刻んだギターの音とともに魂の叫びがここにはある。長生きはするもんだ。こんな音楽に出会えるとは。

岩波ホールで『マルクス・エンゲルス』を見る

take-bow2018-05-10

ラウル・ペック監督作品『マルクス・エンゲルス』(原題『若きカール・マルクス』)が岩波ホールで公開されているので、仕事が休みの平日朝イチの回を見に行ってきた。天気もすぐれないあまり良い条件ではないにも関わらず、大盛況で『ハンナ・アーレント』以来のゲキ混みの鑑賞となった。ただ後者と異なるのは老人が多いこと。お元気な先輩方に囲まれて初期マルクスの思想形成を映像で見ることとなった。変革の哲学を掲げたマルクスは、資本家階級のエンゲルスという友人をもって自己を開花させていく。労働者の団結や蜂起を支持した哲学者自身は労働者たり得ず、自ら金銭的な富をほとんど生み出せなかった。多くの著作群も全くといって良いほどカネにはなっていない。そんな極貧の哲学者を物心両面で支えたのが盟友エンゲルスで、こんな献身的な友人というのは珍しいだろう。献身的といえば、妻で貴族出身のイェニーの存在の重要性も映画ではポイントとなっている。まさかマルクスのセックスシーンをみることになるとは。後世、お手伝いに手を出して妊娠させるパワーを予感させる。そんな人間マルクスが友情や愛情の支えによって、後世に残る『共産党宣言』を産み出し、多くの人々に影響を与え続けていることをこの作品は雄弁に語っていた。
★★★★ブラボー